沼名河之 底奈流玉


奴奈川甕覗硬玉石製紅入盒子

「日刀自乃石紅」

(ひとじのいしべに)



発見される場所が極めて限定され、その数も極めて少数な石製合子。

その中心を大和とし、四世紀前半の大王級、大豪族級大規模古墳からのみ発見される
この石製合子は全国で確実に確認されているものは60例程度であり、
極めて一部の方が持たれた威信財でその詳細は判っていません。

始まりは弥生後期の木製合子(赤漆仕上)を最初とする様で
その形状も古墳時代に続く系統を持ちます。

その系統は二つに分かれるようであり、その技法も異なっており
明らかに二系統の石工人の流れが見て取れます。

合子はその形状故、碧玉、蛇紋岩、硬玉等から生み出すのは至難の業。
砥石、管錐、蹴轆轤等を用いて生み出されたことは判っていますが、
砥石、道具立ての手のみによる再現は、試行錯誤を繰り返し非常に困難でした。

古墳時代の主に女性の古墳から発見される本品は紅入れと考えられ
本体、蓋の双方に紐で繋ぐための穿孔があり、
本品はその孔に当時の彩色である赤紐と革を用いて、
当時の使用状態を再現いたしました。

その出土数は極めて少なく当時のごく一部の高貴な方だけが所有した威信財で、
その扱いは鏡や剣以上に極めて大事にされた石製品となります。


 

 

 

 






 上面蓋1.3ミリ穿孔、管錐未穿孔線刻と四方砥ぎ出し脚部



 

 

 



 

 



 





 



頑固一徹、玉作工人が手塩にかけ玉作技能の粋を集めた
作品の「威」を感じていただければ幸甚に存じます。



玉作 工人  拝