沼河乃玉匠
焔鋼乃魂刃
「賀夜奈流美媛御霊」
(かやなるみひめのみたま)
(紫檀勾玉古式拵、銅打はばき、古焔鋼両刃直刀目釘打造)
[全長215ミリ 最大幅16ミリ 刃長48ミリ 刃厚1.8ミリ]
皇紀二六八一年二月「天愛叢沼河比売御魂」作刃から七年の歳月を
越えて、古鋼から新たな「刃」を拵える機会を賜りました。
今回も作刃が既に決められていたかの様に、
材、炭、炉、季節等の要件が見事に揃い、極寒の中
和鋼一本の直刀を砥ぎ出しました。
和鋼直刀、銅打はばき、煤竹目釘止
一刀切絵作家である刀絵の匠
「刀絵帰蝶」宮本なる女史の「手」となります。
宮本なる女史の作品はこちらからどうぞ。
刀絵帰蝶
Katana-e KICHO
紫檀勾玉古式拵 亜麻仁油仕上
抜刀
鉄色に輝く刃
研ぎ澄まされた和鋼切先
銅打はばき、煤竹目釘止
紫檀鞘 亜麻仁油仕上
紫檀勾玉 亜麻仁油仕上
刃作 工人と「賀夜奈流美媛御霊」
「賀夜奈流美媛御霊」と「天愛叢沼河比売御魂」切先
「賀夜奈流美媛御霊」と「天愛叢沼河比売御魂」
宮本なる女史からいただいたご評価とご感想。
(掲載ご了解済です)
玉作様とのご縁は不思議なもので、お会いする前からお互いに
モノ作りに対する姿勢に作品を通じて敬意をもっていたことです。
シンガポールにて作家活動をしていたわたくしは、玉作様の勾玉を
HPより良く拝見しておりました。
明らかに加工されただけの石とは全く違う「何か」が
玉作様の勾玉にはあると感じていたからです。
そして、ある神事のご依頼にて「奴奈川姫と翡翠」を描かせて頂く事となった時も、
やはり奴奈川姫の御姿を描き写す為に玉作様の作品を拝見しておりました。
初めて、玉作様よりご連絡を頂いたのは奇しくも
奴奈川姫を刀絵で描き終えたその日の夜でした。
奴奈川姫のご縁により、最初の刀である
「天愛叢沼河比売御霊(あまなるむらぬなかわひめのみたま)」
をこさえて頂いたのは七年前のこと、自身の誕生月の如月でした。
以前より関の小刀を用いて刀絵を制作しておりましたが、
本当の意味での「刀絵作家」としての道ができたのは、この刀のお陰です。
そして、皇紀二千六百八十一年の同じく如月に、新たな刀である
「賀夜奈流美媛御霊(かやなるみひめのみたま)」
をこさえて頂きました。
最初の刀は、玉作様が山より採取した砂鉄よりつくられたのに対し今回は、
古の工人より引き継がれた千年の間、土に眠っていた古から蘇った
「ヒ」より工人にこさえて頂きました。
玉作様より贈られた
「大和國一ノ宮 三輪明神 大神神社」威厳ある文字が麗筆された木箱を開けると、
柄に勾玉があつらえられた古の刀が姿をあらわしました。
美しい紫檀の鞘から刃を抜き、鋼の艶やかさを目にすると、
千年以上の年限を経て刀として生まれた姿にふるえ、息を飲みました。
刀の勢いが「手」の一部であるかの様に滑らかに、描き上げたい姿を切り出してくれます。
「この日を地の闇の中から、千年も待っていた」と、刀が語りかける様でした。
刀絵を描くにあたって、描くというよりも描く対象の御姿を、
刀におろして手を進めるというような感覚で切り絵を仕上げております。
魂を込めて作られた道具は、「神籬」になるのですね。
以前、玉作様の勾玉から感じた「何か」とは”威”であると、はっきり分かりました。
“威”をおさめる為の鞘も素晴らしく、
船を向かえる“津”の様な役目を担ってくれました。
三穂津比売や瀬織津比売などの神妃に“津”の字が多い事も、
たおやかな妻が夫の帰りを包む様にして刀が鞘におさまるのだと感じました。
刃を“手”と呼び、鞘を“津”として大切に致したく思っております。
以前、三重の水屋神社の宮司様より
「“かみ”の音を持つ紙は、神と同じ意味を持ちます。ゆえに、紙を扱う切り絵の仕事は
天から与えられた仕事と人のお役に立って下さい」とのお言葉を頂きました。
その氣持ちと共に、この度は大神様よりご縁を賜りました
神籬の刀を“手”として紙に魂を込めるように切り出したく思っております。
刀絵にて描き出す切り絵が、御宮様への奉納や神社仏閣での御神事に引き続きお使い頂き、
大和のお役に立てます様、精進して参ります。
こゝろよりの感謝を申し上げます。
敬拝
刀絵帰蝶/宮本なる
こうして拵えし道具がお役に立てる事は職人として
本当に嬉しい事でございます。
入れ込んだ我が国古来の「威」をお役立て頂ければ嬉しく存じます。
「頑固一徹」
玉作 工人 拝