工房作品 二〇二一 



 古の玉作技を追い続け、皇紀二六七六年、我が国最古の神社

倭之青垣東山坐倭大物主櫛甕魂命大神様へ

「奴奈宜波玉美須麻流」一連、「奴奈宜波玉子持勾玉」一珠
による「大神乃玉」御神納の栄誉を賜り早五年。

以来地道に玉作技の再現を追い続け、硬玉を相手とする
1ミリ平錐打撃穿孔、7ミリ管錐による8センチ長手穿孔、
口径35ミリ管錐抉り整形、蹴轆轤による肉厚2ミリ胴蓋整形
等の古の「技」を再現してまいりました。

本年も継続して古の宝器などの再現に挑みます。

失われし古の「技」はまだまだ多く、一つでも多く再現して
次の世代にそのまま引き継いでゆくこと、これこそが古より続く
我が国ものづくりの流儀、そして魂なのです。

「玉は魂の依代であり、持たれる方の「威」を守護する器」

あくまで自然体で、石の意志に決して逆らわず、砥石との調和を通す。
それが「弥栄の風」を運べることを信じ、いにしえの「技」を追い続けます。

大神神社、奴奈川神社、貫前神社の御札に護られながら
匠の手仕事のみで魂を入れ込まれた作品をどうぞご覧ください。


一、奴奈川高品質硬質蛇紋岩
琴柱形石製品

倭青垣東山坐日霊女乃大神」
(やまとあおがきひがしやまにいますひるめのおおかみ)
[全長64.0ミリ、最大幅55.0ミリ、最大厚12ミリ]

奴奈川河床転石の原石から琴柱形石製品を砥ぎ出しました。

非常に緻密、強靭な結晶組成とその形状により砥ぎ出しには
非常に難儀しましたが、疫病退散の祈りと共に魂を込め砥ぎ込むと漆黒の黒肌
から金属光沢を放ち出し、肌の細かさが上がるにつれて金属音を奏でます。

「矢田坐日霊女乃大神」同様砥石形状、粒度等の道具を段取り
特に今回は鉄板と砥の粉を用いて細部研磨を行いました。
古から黄泉帰った姿を再現出来ました。






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二、奴奈川古式御神威手纏(神器)

 深く透ける奴奈川青翡翠(硬玉)を二丁五重線刻親玉に、
強烈な硬さと強靭な粘りの奴奈川瑪瑙を締玉にして、
全ての原石を吟味し、古と同じ技を用いて古式玉と砥ぎ出し、
線刻の「威」方向と威力を考えて手纏として組み上げました。

材により硬度、粘り、堅牢さに大きな違いがあり、玉によって
砥石を拵え、穿孔方法を変えて一つづつ魂を入れ込みました。

持ち主の方に「威」合わせをしていただき、一体となったことで
奴奈川原石の持つ自然「威」の集合体、魂の憑代として、
極めて大きな力を発揮すると感じ畏怖しました。

この玉には持ち主の方がつけられた銘があります。

「森羅万象」
(しんらばんしょう)

[二丁五重線刻青硬玉親玉、瑪瑙締玉、隅角平棗玉、隅丸俵形棗玉 16個組]




 栃木県、M様所有

森羅万象」専用ページへ


 いただいたご評価とご感想
(掲載ご了解済です)


 今まで玉作さんにいろいろな勾玉、大珠を譲っていただきましたが
手纏に関しては「凄い、良い、美しい」と思っても私自身、
本来は手纏を身にするつもりは全くありませんでした。

しかし事の始まりは去年、2020年の春を待つ寒い日に、
突然今の自分ではない私が白黒の映像の中、何かに困り果て
右手に身に付けた手纏に触れて祈りを捧げている姿をはっきりと見た事でした。

それから数ヶ月、悩んだ末に玉作さんに
手纏の話をする事に決めて訳を話しました。玉作さんは快く理解してくださいました。

正式に話をしてから、昨年8月に神姿が現れて数ヶ月
何度か「威」合わせを行おうとするとその度に私の心にいろいろな
念が入ってきて邪魔されてしまい集中が途切れて頓挫を繰り返してしまいした。

今までの勾玉、大珠でも同じ様な事は何度もありましたが明らかに
今回の手纏は「威」合わせを止める声も声の大きさも数も桁違いであり
中には強い光を纏っている方などもおり、どうしても無視する訳にはいきませんでした。

完全に悪意ある声の主は無視をして、
異を唱える声の主達を時間をかけてでも納得させて行く必要がありました。

用事の無い時間などを使ってその声と向かい合い
何故この様な神器のような手纏が必要なのか、何に使用するのか、
自分は白でも黒でもない事の説明を一つ一つして納得していただきました。

改めてその手纏、今で言う所のブレスレットですが親玉は美しいコン沢青翡翠を
中心に色合い美しい玉達で構成されており全体の色合いで
一目で男性が身に付けている事が分かる配色です。

紐か交差する下部にある玉は糸魚川の姫川沿いにある、
ある山の神様に分けていただいた瑪瑙から研ぎ出した玉が使用されています。

手纏の見た目の感想は自分に合う最高に美しい手纏と言えます。

2021年、新年が明け身も心も改まるこのタイミングで再び「威」合わせを行いました。

「威」合わせは実は去年、何回かトライを行ったのですが、
周りの声と、この手纏があまりにも深く大きい為に波長を合わせるのが難しく、
すぐに「今回は駄目だ」と思い止めてしまっておりました。

もしかしたらすぐに「威」合わせを中止していたのは
私自身強大すぎるこの手纏の「威」を恐れちぢこまってしまったのかも知れません。

(今なら意味が分かりますが前に玉作さんから連絡を受けた時に、
覚悟して下さいね~  大変ですよ~。
みたいなニュアンスの言葉をいただいたのをはっきり覚えております・笑)

「威」合わせを開始すると去年とは違い止めさせようとする声や警告が聞こえてきません。

むしろ逆に誰かが手纏に手を添えて協力してくれているのが分かりました。

それでも「威」合わせは今まで一番大変でした。

身に付けたまま、ゆっくり時間をかけ少しずつ意識を高め集中が切れないように
「威」合わせを続けました。

暫くすると突然糸が緩んだ感覚を感じて、柔らかい空気に包まれました。

その時に見えたのは暗闇に光る星々と共に太陽の光を受ける青い地球・・・。
地球が一滴の水となり落ちていき波紋となりどこまでも広がっていく姿でした。

宇宙も地球もこの手纏も私自身も人々も、例えば目の前にいる蜘蛛であろうと、
全て大元は同じもので出来ており、等しく世界の一部だと言う事を改めて思いました。

この世に奇跡は存在せず、あるのは必然と可能性だけではないのかと考える時があります。

ただ私達は人間故にそれを奇跡と総じて認識してしまうだけで。

全ては「森羅万象」と共にある

始めからこの手纏の名前は決まっていたのかも知れません。

「威」合わせが終わると去年の冬に見た白黒の祈る映像に水滴が落ちて
波紋が広がると映像は色彩を纏っていました。

私は玉作さんに作っていただいた勾玉、大珠、
そしてこの「森羅万象」と共に歩いていきます。

今回、かなり無茶な注文をしてしまい申し訳ございません。

そしてこんな素晴らしい手纏をありがとうございました。

心から感謝申し上げます。


今回の手纏攻玉はわたくしにとっても非常に難しい攻玉でした。

特に極めて強靭な瑪瑙締玉はM様に直接山神様より下賜されし原石であり、
長く一緒に過ごされた中で古から伝わるある種の「威」が宿っており、
通常の打撃破砕を行う手を躊躇させるほどでした。

この感覚は遺跡から出土する古の原石から受ける「威」と極めて近く
現代の古式玉工人にとっては大きな、大きな山になります。

当方も下野国一之宮、式内「大神神社」に最初より何度も詣で、倭大物主櫛甕魂大神様に
「威」をお預かりし、深山の工房で闇夜の神時に仕事を進めました。

全てを攻めて行く中でその線刻の一つ一つ、穿孔の一つ一つに
最良の段取りをして工程を進め魂を入れ込みました。

M様が言われる通り

「森羅万象」

「始めからこの手纏の名前は決まっていたのかも知れません。」

この銘の手纏を古式玉職人として拵えるために、現世全ての「物」を司る
 倭大物主櫛甕魂大神様に何度も「威」をお預かりする必要があったのだと
銘を最初に伺った瞬間に疑問が氷解し、本当に心底畏怖いたしました。

我ら二代の古式玉職人は職人故、原石の持つ「威」の底には到底及ぶ事は叶いません。

持たれる方の「威」を受けて拵える、そこから現出した「物」を
使われるのは持たれる方がお持ちの古の「威」以外にないのです。

この道理は古から全く同様、故に持たれる方を極端に材(石)が選びます。

これは実際に材(原石)を下賜されし者、拵える者、使われし者にしか
その大いなる恐るべき「威」は到底理解出来ません。

これは理屈ではないのです。


今回、「威」合わせが上手く行ったとのお話をいただきまして、
拵えました古式玉職人としてたいへん嬉しく誇りに感じております。

「森羅万象」とさらに深く一体となり、ますますの「威」を受けられ
更なるご発展につながる弥栄の風が吹き続ける様、祈念させていただたく存じます。

大三輪の大神様、神奴奈川比売にこの御神縁を感謝しております。 

奴奈川の玉匠として今後も精進いたします。
ありがとうございます。

「頑固一徹」
玉作 工人 拝
 





 三、奴奈川甕覗硬玉玉杖(宝器)
玖沙訶坐御諸乃大神」
くさかにいますみむろのおおかみ)
[全長285.0ミリ、最大幅93.0ミリ、胴部径20.0ミリ]

奴奈川河床より下賜された甕覗硬玉から王の証「玉杖」を砥ぎ出しました。

全体は五つの玉製品から構成され、中心を一直線に7ミリ径の管錐穿孔で貫き、
260ミリを全て同径直線とし、煤竹の芯を通して終端を竹釘打ちで
組み上げる事で古の「玉杖」として完成いたしました。

全ての篏合部は光が全く通らないまでの平面とすることで、完全に一体となり
実際に手にすると一つの岩塊から砥ぎ出したように感じます。

硬玉故、極めて強靭であり硬く大変な時間がかかりましたが、
段取りを整え、一歩一歩着実に地道に進めて完成することが出来ました。
 





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四、奴奈川薄紫硬玉緒締型大珠
沼河乃雪雫
(ぬまかはのゆきしずく)

[全長72.0ミリ、最大幅33.0ミリ、最大厚13.0ミリ]

海岸より下賜された薄紫の硬玉から縄文の大珠を砥ぎ出しました。

深山の雪が溶け水となり川面を流れ下る景色、
縄文人も待ち焦がれたであろう春の訪れを感じながら攻めました。

紫硬玉らしく非常に緻密な結晶の集合体で、頭に透明な硬玉を持ち
その胴部にはチタン石が覗きます。

砥石の当たりは極めて滑らかですが、異常に硬いために砥ぎ出しには
砥石と砥砂を繰返し様々組み合わせて砥ぎ込みました。

穿孔は煤竹による管錐反転穿孔技法、縄文時代と同じ穿孔で、
内面には回転線条跡が明瞭に残ります。

悠久の時を超えて現れた縄文の「威」でございます。
 






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五、奴奈川薄青硬玉勾玉
高志乃龍水
(こしのりゅうすい)

[全長25.8ミリ、最大幅10.5ミリ]

深山の渓流より下賜された薄青色の硬玉から古墳前期の勾玉を砥ぎ出しました。

濃い青と、透ける水色が渓流を渡る龍の如き佇まいを見せます。

持つのは、山を渡り渓流に泳ぐ龍の「威」。

その優しい姿とはうらはらに、ひじょうに強い意思を持った勾玉です。

この玉は組玉として最終形となり、大いなる「威」を発揮します。







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 六、奴奈川貴流水紋青軟玉大勾玉
渡津海乃龍威」

(わたつみのりゅうい)

[全長57.1ミリ、最大幅15.3ミリ]

広い下流域の河床から下賜された青い軟玉より、古墳最盛期弓型大勾玉を砥ぎ出しました。

この玉には赤い鉄石英の脈があり、同時に流水紋を併せ持つ非常に稀な軟玉で、
極めて強靭な組成によって、砥ぎ込むことで非常に密度の高い光を放ちます。

奴奈川青石でも非常に似通った稀な貴青石もありますが、また違った肌目と
光の光彩を放ち、当たる光によって変幻自在に姿を変えます。

持つ「威」は渡津海を渡り時を超える時空の力。

この大勾玉は「玖沙訶乃美須麻流」の御統親玉を務めます。





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七、奄美「夜久」貝丸玉
「夜久乃光彩」

(やくのこうさい)

[直径10.0ミリ]

南海、奄美地方の「夜久」という巻貝から10ミリの丸玉を砥ぎ出しました。

材の部分によって硬さと粘りが異なり、石と同様の手業による砥石成型は
当初失敗の連続で非常に難儀し、歩留まりは四割にもなりました。

様々な知恵を搾り木砥を複数用意して研磨砂でゆっくり回転整形、研磨を
行うことで、材が本来持っている真珠光沢の発現に達しました。

有名な「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条に出てくる倭から送られた
「白玉」はこの玉、若しくは水晶玉と考えられ、
当時既に「珍珠」という真珠を指す名詞が存在しており、
古文献を読む限りは、貝玉が白玉と考えています。

持つ「威」は優しい融和な温かい慈愛の「威」でございます。

この貝丸玉は「玖沙訶乃美須麻流」の連玉を務めます。







八、大倭水晶八角切子玉
玖沙訶乃美須麻流輝威」

(くさかのみすまるおんかがやき)

[全長20.0ミリ~21.0ミリ  最大径14ミリ]

東北地方の深山から産出する水晶を用い、八角形を持つ切子玉を砥ぎ出しました。

七年ぶりに八角形を拵える機会を賜ったことが本当に幸いでした。

穿孔は平錐打撃回転穿孔、仕上げは肉眼では見えない砥石目を残して
半透明にすることで、光を取り込んだ際の光彩が映えます。

八角形切子玉は手業による砥石成型が難しく、我国でも非常に珍しい
形式であり、ある特定の場所、特定の人の為に生まれたことを雄弁に語ります。

持つ「威」は美須麻流を連ねる魂の輝きでございます。

この八角切子玉は「玖沙訶乃美須麻流」の玉護りを務めます。






九、奴奈川硬玉丸玉
「奴奈川乃風声威」

(ぬなかわのこえ)

[直径10.0ミリ]

奴奈川の河川、渓流、海辺より下賜された様々な硬玉から丸玉を砥ぎ出しました。

特に希少な黒硬玉はヒスイ輝石と石墨が文様を奏で、水面に落ちた墨の様です。

整形は軸基準外形整形、穿孔は平錐打撃回転穿孔を用い穿孔部はⅤ字となります。

持つ「威」は岩肌と新緑の森そして水面を渡る風が運ぶ奴奈川の匂い。

この丸玉は「玖沙訶乃美須麻流」の連玉を務めます。









十、奴奈川青硬玉縄文垂玉
沼河乃青黎明
(ぬまかはのあおきれいめい)

[全長41.5ミリ、最大幅23.0ミリ、最大厚2.5ミリ]

青の中に黒き炎を持つ、コ〇沢産青翡翠片から縄文の垂玉を砥ぎ出しました。

技法としては粗破砕と押圧整形にて基準形状を出し、そこから砥石で砥ぎ込みます。

穿孔は生廉竹にて弓を用いた回転摩滅穿孔で魂入れを行い、
最終研磨は桐砥と粘土にて磨き、乾燥砥草で最終仕上げを行いました。

持つ「威」は奴奈川の渓流を流れ下る「水」、そこに映る「木々の影」
そしてそれらが奏でる、猛々しい「漆黒の炎」でございます。

ここから一連の奴奈川青翡翠の黎明が始まります。





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